羽化 2

 蝶は生まれたときから蝶なのだろうか。幼虫や蛹は仮の姿で、羽化してはじめて本来の自分になるのだろうか。

幼虫は蛹になるとき戸惑うものだろうか。蛹から出てきて広い空に飛び立つとき、蝶はどうしてはばたきかたを知っているのだろう。
考えるともなしに頭に浮かんだそれらは、どこかで知っている答えのせいでしらじらしく流れて消えた。もちろん蝶はそんなことに悩みはしない。おさない童話めいた投影に自嘲して、陽子は手のなかで銀の蝶をころがした。本当に問いたいのは蝶ではなくこの自分のことだった。
「あなたはどうだったのですか、予王」
商家に生まれたごくふつうの娘だったというあなたは。
胎果の自分ほどではないにしろ、平民の娘が文字通り雲の上へのぼり、寿命のない仙の体を与えられたのだ。戸惑いや驚きはさぞ大きかったことだろう。しかもその位は王、麒麟ですら額づく唯一の存在である。
「景麒はあなたにどんな誓約をしたのかな」
まるで人さらいのようにこちらへ連れてこられる前、あの遠い国で過ごした最後の日が胸によみがえる。まだ冷静に思い返すには生々しい、けれどどこかで諦めている、もう戻らない日々のできごと。
思えばあれは王と麒麟にとって最も重要な場面だったのに、陽子にとってもおそらくあの半身にとっても、あまりよい思い出とは言えなかった。それがすこし惜しいと思えるほどには、陽子はここで過ごす景王としての日々に馴染んできている。
「あなたはそれにどうこたえたのだろう」
わけもわからずに承諾した自分と違って、予王はすべて理解していたはずだ。ことの重大さを知っているぶん彼女の受けた衝撃は陽子よりも大きかったかもしれないが。
そこまで考えたあと、景麒はどうだったのだろうとふと思い、陽子は顔を上げた。うかつといえばうかつだが、今まで考えもしなかったのだ。あの誇り高い麒麟が、麒麟であることのすべてをかけていたであろう誓約のとき、何を思っていたかなんて。
いつのまにか握りしめていたのだろう、右のてのひらに鈍い痛みを感じて目をやると、ひらいた指のすきまからくろぐろとした血の短い線が見えた。その上にいたずらな蝶がころがっている。思わずため息を吐きながら、けれど陽子のふたつの目はそれを通りこし、見えない半身の心を窺おうとさまよいだしていた。

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