幕間

 



※小説「羽化」と漫画「景陽漫画もどき1~2」の幕間短編です。

※予王についての捏造独自解釈が激しいです。ドラマCDは聞いてません。




幕間




麒麟は天意の器といい、民意の具現という。それならば今もてあましているこの感情はなんだろう。半身が王のためであれば、残りの半身は慶の民として己のために生きろと主は言った。その民としての己がこのかたを求めるのだろうか。

たしかに半身だけでは足りないのだ、ふたりが共にあるためには。

玉座とはおそらくそもそもが王ひとりで背負うものではない。王と麒麟が並びたってようやく一人前、その意味でひとりひとりを半身と呼ぶのだ。半人前がふたり寄ったところで押し潰されておしまいだ。

王が自分自身の王であるなら、麒麟もそうであらねばならない。でなければ一国の重みを共に背負うことなどできはしない。けれども景麒はこれまで己に疑問を持つことがなかった。

疑問を持たない自己など叩いたことのない石橋とおなじだ。どれだけ脆いのか誰にもわからない。いつ崩れ落ちてもおかしくはない。おそろしくて王を渡すことなどできはしない。

景麒は瞑目する。おなじように景麒がえらび、おなじように景麒をもとめ、けれどそれに応えることができなかったひとの姿が瞼に浮かぶ。まだ懐かしいとは言えない、生々しい痛みと共にある記憶。それは今も消えることなく胸に残っている。

傷ひとつない石橋は鏡のようなものだ。そこに映った己の姿を見て何を感じただろう。そのひとは景麒の隣に並ぶことを拒むことが多かった。わたしはそのように立派な者ではありません。景麒はどうにか自信を授けようと努力したが、自信とはそもそも自らが自らを信じることだ。信じるに足る己になることだ。景麒の努力が実ることはなかった。

もしもあのころ、と景麒は思う。己を疑うことを知っていれば、そのひとを独りにさせずにすんだのかもしれない。麒麟とて完璧な生きものではなく、迷い悩み傷つくこともあるあたりまえの存在なのだと共に知ることができれば、鏡の前にひとりきりで立ち尽くす寒さに凍えさせることはなかった。

けれど王の不足を補おうとした景麒はなお完璧であろうとしてしまった。麒麟は天意の器であり民意の具現である。景麒は王に己の揺らぐ姿を見せてはならないと信じていた。それこそが間違いだったと今ならわかるのに。

そのひとを見たとき、名君となるには何かが足りないと気づいていた。それなのに景麒はその足りない何かを王の中にだけ探してしまった。たしかに王には不足があった、けれども他者を云々する前に、景麒はまず己に足りないものを探すべきだったのだ。

そのひとは己を責め、責めることに疲れ、逃げ場を求めた。広いばかりで冷たい王宮の中、景麒のほかに手をのばせる相手はいただろうか。景麒もそれに気づいていたから応じようとした、期待を持たせてしまった。けれど最後の最後で応じきれなかった。そのことで王は最後の柱を折られたのだ。

拒まれたのが女性としての己だと信じられたならまだよかったのかもしれない。けれども景麒はそのひとに対し、つねに王であることを求めすぎた。王であることを求めた上で、その王を拒んでしまった。たとえそのときの景麒に、天意と民意を体現する者として拒んだつもりはなくても。それでも結果そのひとから最後の逃げ場を奪ったのなら、それは王の補佐であるべき麒麟が、みすみす王を失道へ追い込んだということになる。

景麒は学ばねばならなかった。自らも病の床につき、焦りと諦めが交互に襲いくるなかで必死に考えた。けれども何を考えようにも頭が働かない、なぜならそこにどす黒くて重苦しい予感があるからだ。王を失うかもしれない。巨大な黒い雨雲が背後の晴天を食い荒らしながら追いかけてくる。あれに喰われれば何もかもおしまいだ。王も自分も国も民も。けれど必死に掴んでいたはずのか細い腕が、いつのまにかすり抜けていた。背後の黒雲と行く先のわずかな晴天にばかり気を取られて、隣にあったはずの足音を聞き逃していた。空っぽの手の中に気づいたとき、突如として頭上の黒雲が晴れ、景麒は王の禅定を知った。

のばした手をとってやれなかったそのひとが、今度は景麒が決して手をのばせないところへ行ってしまった。もはや人でもなく王でもなく神でもない。最後に何を思いどんな顔で去ったのかもわからない。ただ朦朧とする意識の中で誰かが自分の手をとり、国と未来を託していったことだけをわずかに思い出した。

そのときの景麒には天意も民意もなかった。天からも地からも切り離され、この世に親しい同胞もない。ふり返れば官たちも遠いが、彼らに用があるのは器としての自分でしかない。そこに載く王なくしては天命の具現など、敬して遠ざけるのが得策なのだろう。目鼻のついた大きな円筒にでもなった気がした。中心を寒々しい風だけが吹き抜けていく。やがて円筒は考える、おうをさがさなくては。あたらしいおうを。彼の去ったあとには置き去りの心が泣いている。


あのころは思い描くこともできなかった新しい王にであうまで、景麒は胸にあいた大きな傷口に気付くこともなかった。けれど今は違う。傷に手をあて見えない血を拭ってくれるひとがいる。おまえは悲しかったんだ。陽子は言った。予王を悼むことはわたしへの裏切りにはならない。共に悼みたいと言ってくれた。

景麒には陽子の言った、死者の守る国というものが理解できているのかわからない。ただぼんやりと感じたのは、国と歴史のありかただった。それは一筋にのびていく道ではなく、大きくなる途中の雪玉のようなものだ。予王の道の先に今の自分たちがいるのではない。予王をふくんで大きくなった雪玉の上に自分たちがいるのだ。そう思うことができたのは、予王を否定しない陽子の姿を見たからだった。

決して寡黙な王ではないが、言葉よりも行動で語ることの意味を知っている。だからこそ予王を悼む景麒をその傷ごと受け入れてくれた。おそらくもう陽子の中には彼女だけの予王がすんでいる。そうやっていずれこの国の歴代の王たちもその胸にすまわせていくのだろう。


「待たせて悪い。首尾は上々だ」

青紅葉を透かす日差しのような気配をつれて、無二の少女が戸口にたつ。うす暗がりの小さな部屋の中、手の中に銀の蝶を転がした景麒に気がつくと、一瞬だけ眩しそうな切なそうな顔をした。うかがうようなみどりの双眸がつらくはないかと問いかけてくる。

景麒は蝶を窓辺に置いて長椅子をたつ。主の待つ明るい戸外へ向かうために。すぐにその手はやや小ぶりの健やかな手に迎えられ、あたりまえのように繋がれると足取りに従ってゆるやかに揺れはじめた。



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