寺山修司

詩的自叙伝―行為としての詩学 (詩の森文庫)
ありとあらゆるジャンルに手を出しながらも「詩人」という肩書きを好んだ寺山の考える「詩とは」をまとめた一冊。時代背景(学生運動)や用語(注釈つけて…)については常の不親切だが、副題にもあるように、詩とは印刷された文字ではなく行為として「なる」ものだ、ということが繰り返し力説されている。つまり「書を捨てよ、町へ出よう」ね。寺山にとっては演劇も映画も評論も小説も、全て「行為としての詩」なのだ。印刷されたものは詩の形骸でしかない。現代詩への憤りは強いがそこに諦めはなく、全体に意欲的で刺激的でとても面白い。

寺山修司の仮面画報
宇野さんの絵本からの流れで再読。日本画から彫塑へ専攻変えしたあげく演劇に落ち着いた高校大学の頃、私が惹かれたのはより訴求力の強い表現だった。平面、立体、身体表現。結局どんな方法を選んでも、肝心の主張そのものが自分にはないことを受け入れて離れた。けれど主張と訴求力の権化のような寺山の仕事に触れると、枯れたはずの何かが疼き始める感覚がある。それは苦しくて落ち着かないもので、決して快くはないが手放せないもの、身も蓋もない名前を言えば<青春>なのだろう。短歌、詩、戯曲、評論、横紙破りの表現の鬼、私の青春の神様。
本書はタイトル通り、寺山のビジュアルワークにテーマを絞っている。けれど彼の膨大な仕事を1冊にまとめると、きっとこうなるのだろう。私はその昔神田の古書店街で買ったけど、今は再販されて入手しやすくなっているのが嬉しい。

花粉航海 (ハルキ文庫)
【メモ】父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し/朝の麦踏むものすべて地上とし/影墜ちて雲雀はあがる詩人の死/母を消す火事の中なる鏡台に/心臓の汽笛まつすぐ北望し/花売車どこへ押せども母貧し/電球に蛾を閉じこめし五月かな/わが夏帽どこまで転べども故郷/影を出ておどろきやすき蟻となる/燕と旅人ここが起点の一電柱/秋風やひとさし指は誰の墓/螢来てともす手相の迷路かな/出奔す母の白髪を地平とし/家負うて家に墜ち来ぬ蝸牛/姉と書けばいろは狂いの髪地獄/かくれんぼ三つかぞえて冬となる/母の螢捨てにゆく顔照らされて
麦の芽に日当たるごとく父が欲し/書物の起源冬のてのひら閉じひらき/枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや/遠花火人妻の手がわが肩に/胸痛きまで鉄棒によれり鰯雲/ランボーを五行とびこす恋猫や/わが死後を書けばかならず春怒涛/目かくしの背後を冬の斧通る/次の項に冬来たりなばダンテ閉ず/老嬢に甘き蜜あれわれには詩を/春の怒涛十八音目がわれを呼び/爪が産む折鶴や母亡きあとも/肉体は死してびつしり書庫に夏/胡桃割る閉じても地図の海青し/読書するまに少年老いて草雲雀/鏡台にうつる母ごと売る秋や

田園に死す (ハルキ文庫)
【メモ】大工町寺町米町仏町母を買ふ町あらずやつばめよ/新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥/地平線縫ひ閉ぢむため針箱に姉がかくしておきし絹針/売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野くとき/間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子/生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘/ほどかれて少女の髪にむすばれし葬儀の花の花言葉かな/村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ/見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の歯に地平をうつし
七草の地にすれすれに運ばれておとうと未遂の死児埋めらるる/呼ぶたびにひろがる雲をおそれゐき人生以前の日の屋根裏に/かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭/その夜更親戚たちの腹中に変身とげゐむ葬式饅頭/孕みつつ屠らるる番待つ牛にわれは呼吸を合はせてゐたり/挽肉器にずたずた挽きし花カンナの赤のしたたる わが誕生日/針箱に針老ゆるなりもはやわれと母との仲を縫ひ閉ぢもせず/地球儀の陽のあたらざる裏がはにわれ在り一人青ざめながら

赤糸で縫いとじられた物語 (ハルキ文庫)
ポエットは短歌・詩・写真と同じくらい好きな寺山ジャンル。なので、選集よりも全集がよかったなあ(´・ω・`) 収録分では「かくれんぼの塔」がお気に入り。角田光代さんの解説ではやたらと悪意という言葉が多用されていたけど(逆説含め)、これは寺山らしい悪戯心のある挑戦と期待ではないかと私には思える。あからさまに結末を読者に託すやりかたは、未完の美とは別のものだよ。寺山は、ここから生まれる読者の物語に期待したかったんじゃないのかな。それこそ「書を捨てよ、町へ出よう」というふうに。

寺山修司少女詩集 (角川文庫)
血があつい鉄道ならば 走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう/一本の樹にも流れている血がある 樹の中では血は立ったまま眠っている/どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことはできない/書くことは速度でしかなかった 追い抜かれたものだけが紙の上に存在した●黒光りする金属の巨塊を思う。熱い蒸気を濛濛とあげながら薄暗い地平を疾走してゆく。鉄路は血管、冷たい汽車は体の中で最も遠い心臓を駆け抜けてゆく。眠ったままの血が目ざめるとき、斃れる樹があげる悲鳴を汽車は聞かない。鉄路に轢かれた種子の叫びを汽車は聞かない。
私は遠く汽車の去った彼方を見ながら無人の鉄路を歩くだけ。「百年たったら帰っておいで」そのうちの34年が過ぎようとしている。私もあと数ヶ月で34歳になる。でもきっと、寺山は帰ってこないよなあ。天国すら走りぬけてとっくに来世を生きていそうだもの。

寺山修司青春歌集 (角川文庫)
【メモ】地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり/一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを/テーブルの上の荒野をさむざむと見下ろすのみの劇の再会/かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭/生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘/間引かれしゆえに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子/大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ/滅びつつ秋の地平に照る雲よ涙は愛のためのみにあり/草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

地獄篇 (1983年)
寺山を「言葉の魔術師」と呼んだのは誰だったのか。自在に言い換えられ置き換えられる言葉たちは意味を置き去りに上滑りし、あと少しでそこに隠された重大な秘密が掴めそうなのに行間に留まって考えることができない。言葉は記号に還元され怒涛となって押し寄せ押し流し、こちらは圧倒されながら身を任せ心地よい焦りの中で時々何かに引っ掛かる。詭弁饒舌以上にこれは叙事詩という名の現象なのだと思うが、「あんまり長い遺書を書きすぎて死ぬ機会を失ってしまったのがこの長詩なのです。」というのが、あとがきにある本人の弁である。

血と麦―寺山修司歌集 (1962年)
メモ】地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり/きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス管/一匹の猫を閉じこめきしゆえに眠れど曇る公衆便所/馬鈴薯がくさり芽ぶける倉庫を出づ夢はかならず実現範囲/ここをのがれてどこへゆかんか夜の鉄路血管のごとく熱き一刻/老犬の血のなかにさえアフリカは目ざめつつありおはよう、母よ/死ぬならば真夏の波止場あおむけにわが血怒涛となりゆく空に/にがきにがき朝の煙草を喫うときにこころ掠める鷗の翼/無名にて死なば星らにまぎれんか輝く空の生贄として
冬井戸にわれの死霊を映してみん投げ込むものを何も持たねば/古いノートのなかに地平をとじこめて呼ばわる声に出でてゆくなり/歌ひとつ覚えるたびに星ひとつ熟れて灯れるわが空をもつ/見えぬ海かたみの記憶浸しゆく夜は抱かれていて遥かなり/悲しみは一つの果実てのひらの上に熟れつつ手渡しもせず/けたたましくピアノ鳴るなり滅びゆく邸の玻璃戸に空澄みながら/レンズもて春日集むを幸とせし叔母はひとりおくれて笑う/雲雀の死告げくる電話ふいに切る目に痛きまで青空濃くて/そそくさとユダ氏は去りき春の野に勝ちし者こそ寂しきものを
わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ/銅版画の鳥に腐蝕の時すすむ母はとぶものみな閉じこめん/銅版画にまぎれてつきし母の指紋しずかにほぐれゆく夜ならん/アルコオル漬の胎児がけむりつつわが頭(ず)のなかに紫陽花ひらく/ねじれたる水道栓を洩るる水舐めおり愛されかけている犬/眼帯にうすき血にじむ空もたぬ農少年の病むグライダー/血を売って種子買いもどる一日をなに昂ぶるやあなたは農奴

空には本―寺山修司歌集
【メモ】向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し/この家も誰かが道化者ならん高き塀より越えでし揚羽/ゆくかぎり枯野とくもる空ばかり一匹の蠅もし失わば/赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる/わが野生たとえば木椅子きしませて牧師の一句たやすく奪う/われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る/マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや/その思想なぜに主義とは為さざるや酔いたる脛に蚊を打ちおとし★空には本それを捲らんためにのみ雲雀もにがき心を通る、は本書ではない。
のびすぎた僕の身長がシャツのなかへかくれたがるように、若さが僕に様式という枷を必要とした。定型詩はこうして僕のなかのドアをノックしたのである。縄目なしには自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕に言語の自由をもたらした。(中略)しかしそれよりも何の作意ももたない人たちをはげしく侮蔑した。ただ冗漫に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に告白癖を戒めさせた。「私」性文学の短歌にとっては無私に近づくほど多くの読者の自発性になりうるからである。/僕のノオト

寺山修司全歌集 (講談社学術文庫)
【メモ】初期歌篇【燃ゆる頬】海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり/そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット/草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ/煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし/ふるさとにわれを拒まんものなきはむしろさみしく桜の実照る【季節が僕を連れ去ったあとに】空のない窓が記憶のなかにありて小鳥とすぎし日のみ恋おしむ/漂いてゆくときにみなわれをよぶ空の魚と言葉と風と/駆けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ
【夏美の歌】君のため一つの声とわれならん失いし日を歌わんために/滅びつつ秋の地平に照る雲よ涙は愛のためにのみあり/理科室に蝶とじこめてきて眠る空を世界の恋人として/わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして/一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを/空を逐われし鳥・時・けものあつまりて方舟めけりわが玩具箱/青空はわがアルコールあおむけにわが選ぶ日日わが捨てる夢/空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る/飛べぬゆえいつも両手をひろげ眠る自転車修理工の少年
【テーブルの上の荒野】テーブルの上の荒野をさむざむと見下すのみの劇の再会/ダンス教室その暗闇に老いて踊る母をおもへば 堕落とは何?/哄笑の顔を鏡にふと見つむわが去りしあとも笑ひのこらむ/人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ/高度4メートルの空にぶらさがり背広着しゆゑ星ともなれず/わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る

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