池澤夏樹個人編集 日本文学全集
池澤夏樹個人編集、河出書房新社より刊行。
文学全集だけどお固くない。
古典作品の現代語訳には、大御所のほか当代の人気作家たちが名を連ねる。
制覇したくなる楽しい全集です。
文学全集だけどお固くない。
古典作品の現代語訳には、大御所のほか当代の人気作家たちが名を連ねる。
制覇したくなる楽しい全集です。
口訳万葉集/百人一首/新々百人一首 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集02)
●折口信夫「口訳万葉集」→口訳とは口語訳ではなく口述筆記のこと。現代仮名遣いに直してあるおかげか随分読みやすく楽しめた。一首ごとが短くテンポがいいので読み足りないくらい。佳作傑作など折口評が付されているのも面白い。花鳥風月や恋もいいけど、挽歌や防人の歌は哀切で胸に迫る。905番・山上憶良「若ければ道行き知らじ賄はせむ下方の使負ひて通らせ」●小池昌代「百人一首」歌人らしい訳文の美しさも、思い入れの窺える恣意的な解釈も、几帳面なまでの品詞分解も、バランスよく楽しめた。●丸谷才一「新新百人一首」今回は割愛。
●折口信夫「口訳万葉集」→口訳とは口語訳ではなく口述筆記のこと。現代仮名遣いに直してあるおかげか随分読みやすく楽しめた。一首ごとが短くテンポがいいので読み足りないくらい。佳作傑作など折口評が付されているのも面白い。花鳥風月や恋もいいけど、挽歌や防人の歌は哀切で胸に迫る。905番・山上憶良「若ければ道行き知らじ賄はせむ下方の使負ひて通らせ」●小池昌代「百人一首」歌人らしい訳文の美しさも、思い入れの窺える恣意的な解釈も、几帳面なまでの品詞分解も、バランスよく楽しめた。●丸谷才一「新新百人一首」今回は割愛。
竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土左日記/更級日記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集03)
物語三作読了【竹取】森見ファンの贔屓目を差し引いてもお話そのものが大変面白く、幼少より親しんできただけに初読の新鮮さを覚えていないのが悔しい。成立背景や世界観ごと読み込みたい。【伊勢】業平の歌の魅力は素人の私にもわかりやすい音律の良さ。改行の多い大胆な川上訳は流れる叙事詩のよう、けれど背後に潜む物語は非常に濃い。他の歌物語も読んでみたい。【堤中納言】気のきいた少女漫画の短編集みたいに大層面白く読んだあと、作中の歌は中島さんがみそひと文字のまま現代語訳したと知りさらに驚く。原文と比べてみたい。
日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集08)
説話ってもっと説教臭かったり抹香臭かったりするものかと思ってたけど、読んでみると大層面白かった。伊藤比呂美さんの新訳はダイナミックで、日本霊異記で描かれる性のおおらかさはいっそ清々しい。印象的だったのは「風のように生きる縁」、こんな女性に憧れる。同じ訳者でも発心集では文体が違い、名も残らぬ聖たちの逸話に妙な親しみを感じる。鴨長明の生真面目な文末コメントも興味深かった。福永武彦訳の今昔物語は読み足りない面白さ。因果話に親和する心は三つ子の魂なのかな。「葦を刈る夫~」は似た話を中国の古典に見た覚えがある。
前回未読だった宇治拾遺物語を読み、本作が初めての町田康であることに気付く。もともと気になっていた作家さんではあるけれど、文学全集にこの訳文を突っ込んでくるあたりがもうパンク侍すぎて笑ける。原文や他の訳と読み比べてみたい気はするけれど、とりあえず本作だけの印象を言うなら、それはもう愛すべきダメ僧たちの哀れで滑稽な逸話達に集約されてしまう。発心集も楽しかったけれど、訳文のパンチ力ではこちらに軍配が上がる。生活の中に息づいていた仏教の気配が、ふと羨ましくなるときがある。信仰が入り込む隙間のない現代の息苦しさよ。
能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10)
前回未読だった宇治拾遺物語を読み、本作が初めての町田康であることに気付く。もともと気になっていた作家さんではあるけれど、文学全集にこの訳文を突っ込んでくるあたりがもうパンク侍すぎて笑ける。原文や他の訳と読み比べてみたい気はするけれど、とりあえず本作だけの印象を言うなら、それはもう愛すべきダメ僧たちの哀れで滑稽な逸話達に集約されてしまう。発心集も楽しかったけれど、訳文のパンチ力ではこちらに軍配が上がる。生活の中に息づいていた仏教の気配が、ふと羨ましくなるときがある。信仰が入り込む隙間のない現代の息苦しさよ。
能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10)
「女殺」は人物描写が濃やかで、心細げな殺人鬼与兵衛は勿論、情の深さ故に葛藤を抱えるお沢が魅力的。性根心根が見目と同じに生来のものなら、それを持て余し苦しむ与兵衛の苦悩は哀れでとても人間らしい。「菅原」は三つ子それぞれの末路に注目しながらも、命の使い方や死の美学に目が行く。生きてさえいればという現代感覚のさもしさを思う。「義経」は訳者らしい朴訥さが味わい深く、中でも源九郎狐を描く筆は生き生きと楽しい。「曽根崎」「仮名手本」死に急ぐ姿は観客の生死観と憧れを反映してのことかと、当時の受容のされ方が気になる。
前回未読だった、能・狂言・説経節を読了。能・狂言は町田康ばりのカジュアル現代語訳で、敬しつつも遠ざけていた過去を忘れてぐっと仲良くなれた気分。「卒塔婆小町」は三島由紀夫版を美輪明宏演出で観たけれど印象がだいぶ違うので、戯曲として読み比べてみると面白そう。説経節「苅萱」は道心の身勝手さが鼻につくけれど、ブッダが我が子を悟りのための障壁(ラーフラ)と見たことを思うと、何とも苦い思いがする。すべての執着を捨てなければ悟りを得られないとしても、そのための犠牲はどう納得すればよいのか。とはいえこの女達は弱すぎる。
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