現代版 絵本御伽草子



現代版絵本御伽草子 講談社


うらしま
日和 聡子 ヒグチ ユウコ
巻末の原文(読みやすい!)→本文の順。浦島の話が「兄」の一言から始まると、連想するのは神話の海幸彦山幸彦。しかし本書では、老父母とともに家に残された太郎の妹が、兄を探して亀ならぬ瓷を道案内に竜宮城へ辿り着く。桃源郷とは程遠い竜宮城のありさまと、太郎がそこに囚われていることの理由。その薄ら寒い水底を写しとる、ヒグチさんの執拗な描線。思えば深海の生き物は、みな一癖ありそうな姿をしている。だあれだ、と戯れかかる幼い人魚は金襴緞子、贅沢な玩具を持っていても遊び相手がいないのではね。御伽噺の暗部は深い。

象の草子
堀江 敏幸 MARUU
原文→現代語訳をネットで確認→本文。象の僧が師の僧に梵語をもごもご通訳し、解き放たれた猫と追い詰められた鼠の仲立ちを務める。原典がそもそも面白いのだけど、本書オリジナルの象の僧がたいそう魅力的。山月記やバンクシーなどのパロディににやりとしつつ、語りの面白さを万倍にもする装画を隅まで味わう。桃色の像といえば酩酊時の幻を思い浮かべるが、アルコールのかわりに漂うあんもらかの強い香りにのせて語られるのは、そこだけ改変がほぼない僧の説法。原典でもここが肝だろう。出えじぷとに倣うラストは鼠たちの英断を華々しく彩る。

木幡狐
藤野 可織 水沢 そら
原文→ネットで現代語訳を確認→本文。これが「聊斎志異」あたりなら、才色兼備の良妻賢母なんて狐だろうが幽鬼だろうが大歓迎で大団円、なんてのも珍しくない。異類じゃなくても婚姻譚に別離が多いのは何か理由でも、なんて思いながら読んでいたら、改変された現代版はさらにとんでもなかった。人間社会の乗っ取りを狙う女狐たちの育成学校だなんて、森見登美彦でも読んでいる気分。人の身の哀れを語るきしゆを見ていると、たしかに彼女の痛快なまでの執着の無さは、人より悟りに近いのではと思う。コケティッシュな装画もとても素敵。

鉢かづき
青山 七恵 庄野 ナホコ
大胆に洋装で描かれた鉢かづき。ラスト近く意地悪な兄嫁たちとの挿画を見て、和製灰かぶりの別名を思い出す。本書はこの作画の面白さと、鉢かづきのヒロインらしからぬ図太さ、野生児じみた野への憧れ(鉢かづきの抱く野兎が彼女自身に見える)が強く印象に残る。風呂炊き仕事に忙殺される鉢かづきが、音楽や物語を恋しく思い出し、その必要性を語るくだりには、筆者のメッセージを感じて嬉しくなる。今回はネットで探して現代語訳を先に読み、原文は長さに挫折。いつか再挑戦したい。本書の鉢かづきくらいさばけた性格なら原文も頑張れそうなのに。

はまぐりの草紙
橋本 治 樋上 公実子
ネットで現代語訳を確認→原文(読みやすい!)→本文。シリーズをまとめて借り出してきた時、一番心惹かれた表紙が本作でした。挿絵もエキゾチックで素敵。お話の筋に改変はないものの、原文の?な箇所いちいちにツッコミを入れる橋本さんの筆が小気味良く、熟れた講師の小咄を聞いている気分になる。頻出する「はまぐり出身」表現が楽しくて、どこかにはまぐり県が存在している気などしてくる。古典を読んでいるつもりがいつのまにかメタファンタジーに!という最後の一文まで、橋本さんのサービス精神が光る楽しい本でした。七千年は長いわあ。

付喪神
町田 康 石黒 亜矢子
絵は京極読者にはおなじみの石黒亜矢子さん、絶妙にまるっこく愛嬌あふれる器物の妖怪たちの姿が楽しい。町田康は宇治拾遺物語の現代語訳と本作しか私は読んでいないのだけど、これを作風と思ってよいのかどうか。とにかく軽いうえにも軽い若者言葉がいっそ小気味よく、バリアにビームが炸裂するスペクタクル妖怪バトルが展開する。サクサク音がしそうなくらい簡単に人が死んでいくが、人と物が反転しても人の所業の方がまだ酷いだろうな。原文は冒頭こそ読みやすいものの、後半に入り仏教用語が頻出するようになってからは難解で、素直に諦めた。

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