十二国記

十二国記  小野不由美  新潮文庫

魔性の子
戴国新刊発売を機に再読、風の海&白銀バレ注意。高里が泰麒としての記憶を取り戻す場面見たさに手に取るも、ホラーをホラーとしてのみ読めこなせず思わぬ苦しさに見舞われる。自身のエゴを高里に押し付ける広瀬を哀れな若者だと諦め、許せないと切って捨てていた高里母の振る舞いを痛ましく身近に思えるほどには、初読時から時が経ち私の感覚も変化したのだろう。幼い泰麒を愛でるあまり失念しかけていたけれど、高里要としての人生はすでに神隠し前から過酷だったのだ。さらに凄惨に過ぎた数々の事件、白銀での彼はなるべくしてなった姿だと納得。

月の影 影の海  上
戴国新刊発売を機に再読、徐々に物語へと入っていくこの手探り感が懐かしい。陽子の両親は当時からすでに化石じみた感覚の持ち主と思えたが、今見ると十二国側のジェンダー観との対比が鮮やか。神籍へ入るには人として一度死ぬと後述されるが、虚海の羊水で生まれ直した陽子はまさに裸一貫、暗中模索。とはいえ蓬山へ登る前にこの旅はぐんと器量を育てただろう。それはさておきシリーズ1作目の上巻まるごと使ってこの重苦しさ、読者を容赦なく篩にかけてくるものだわ。これも戴麒待機訓練の一環だったのかと思えてくる。

月の影 影の海  下
下巻は怒涛の展開で、読了するのが惜しくてついペースが落ちてしまう。楽俊の登場に心救われる。上巻での数々の試練も、楽俊に出会って信じることの大切さを痛
なければ、単に陽子を重度の人間不信にしただけだろう。疑心暗鬼の王など考えるだに恐ろしい。年号「赤楽」の字を見ると、陽子の深い感謝と決意が窺えて嬉しくなる。初読時はまさか陽子が王になるだなんて考えもしなかったので、延王を訪ねる下りでは粟肌立ったが、ラストを知った上で読んでもやはり痺れる。二度目の誓約では景麒と一緒に陽子に惚れ直してしまいます。

風の海 迷宮の岸
戴国新刊発売を機に再読。在りし日の泰麒や李斎が眩しく、驍宗様の第一印象が悪かったことも懐かしく、ただただ甘美な蓬山の暮らしに酔いながら、彼奴さえ余計なことをしなければと歯噛みする。また前回いいとこなしだった景麒の人となり(人?)が垣間見えるのも楽しく、徐覚につい親近感を持ってしまう。だってあの堅物の不器用な優しさ、さらに微笑だもの!初読時も今もいとけない泰麒がただひたすらに愛おしく、この子を愛でているだけで私は幸せなのに、その運命ときたらもう。そもそものあの蝕が起こらなければどんなにか。。

東の海神 西の滄海
戴国新刊発売を機に再読。十二国の中でも安定感抜群の雁、そのため却って人物には思い入れを持たずにきた。今回は意識して更夜視点で読んでみようと、けれども至らなかった。せめて彼にとっての斡由がどれほどのものか、腹に落とし込みたかったのだけど。冒頭では此岸と彼岸に等しく満ちた血のにおい、更夜には荒野の音が、六太には芥の音が低く重なる。緑の山野とはそれのみではなく、眺める者の心を含めて言うのだろう。五百年のち約束は成就されたのか。妖魔を迎える証文はそれより早かったようだけど、麒麟の願いが民意に具現化されますように。

風の万里 黎明の空
戴国新刊発売を機に再読。陽子、終始苦笑してるなあ。BSでアニメ化された時は月影の酷い改変にガックリきたものの、風の万里クライマックスには胸高鳴った。この上下巻で映画1本いけそうだけども、半端な映像化はしてほしくないな。清秀や蘭玉の最期は何度読んでいてもやりきれない。鈴と祥瓊の試練はどちらも見ていて読み手の黒歴史が甦る、陥りがちな自意識の罠。そこを脱したあと語り合う三人娘の晴れやかな声、きな臭い背景との鮮烈なコントラスト。誰も欠けなくて本当によかった。そして最後はやはり陽子の初勅、これに尽きる。

丕緒の鳥
戴国新刊発売を機に再読。下っ端官吏や荒民が主役のお仕事短編四つ。「青条の蘭」善意のリレーに小栗判官を想起、山毛欅林を救う青条に死から蘇った小栗が重なる。国境を前に踏み留まる故郷なき民、興慶が辛く切ない。いつか黄朱メインの長編を読んでみたい。「風信」戸外の嵐を忘れなければ癒えない傷はある。けれど最後の一行まで鮮血流れる傷口に向き合えなかった蓮花に、忘失は癒しよりも緊張を与えていたのか。その糸が切れたあとの日々、心から笑う蓮花の頭上には巣立ったばかりの燕が翔んでいるのだろう。漣王の言う仕事とお役目を思い出す。

図南の翼
戴国新刊発売を機に再読。この珠晶と遠子(白鳥異伝)がとにかく大好きで、飽くことなく読み返した十代の頃を思い出す。あれから二十年経って久しぶりに項を開いたけれど、事細かに覚えている物語を辿りながらもやはり面白く読めることに改めて驚く。頑丘たちと別れてからの急展開に息をつめ、天仙の正体に万感の想いを新たに、そして何よりも珠晶の叫びに心を掴まれる。珠晶の目的は己を肯定することで、異世界を放浪した陽子が結果的に身につけた最強の武器もこれ、つまりは自分自身の王であるということ。背筋が伸びる思いで本を閉じた。

華胥の幽夢
戴国新刊発売を機に再読。采麟のキャラクターが苦手で読み返す時にも表題作は避けていたが、おかげでそうかこんなにミステリ色の強いお話だったのかと新鮮な気持ちで楽しめた。利広や風漢が無数に眺めてきた短命の王朝、砥尚はもしかすると祥瓊の父王と少し似ていたのかもしれない。高い理想と現実認識の甘さ、けれど最後まで気高く在り続けたその姿が。くらべてみるとやけに人間臭い奏や雁の玉座まわり。だからこその長命かと納得するが、そこに泰王を置くと少し不安。恥が苦手なあの高潔さ、芳や才に通じはしまいか。認識の甘さは感じないが。。

黄昏の岸 暁の天
戴国新刊発売を機に再読、白銀バレ注意。「見る目がある」発言が小物っぽくて驍宗様の第一印象が悪かったこと、柔和で鷹揚な李斎に泰麒の主となって欲しかったことなど、忘れていた初読の昔を思い出す。けれど白銀に続く受難の李斎にその面影はなく、利き腕を失って死の淵を彷徨い、期待と失望に翻弄されながら泰麒を求める姿はひたすらに痛ましい。そこを混ぜっ返してくれる慶の面々に救われながら、これを戴朝廷で読みたいと夢見て裏切られる。思えば今巻の内容から玉京に触れる新刊展開を予想したものだけど、そこも秘されたままだったなあ。

白銀の墟 玄の月  1
内容についてはまだ触れません、かわりに思いの丈を。ティーンズハート悪霊シリーズ完結直後からの小野読者、ホワイトハート版で刊行を追いかけた筋金入りの十二国ファンなので、数えてみれば私は人生の丁度半分を泰麒と主上の行方を案じ、新刊を待ちながら過ごしていたことになる。もちろんそればかりで生きてきたわけではないけれど。同じ時期に夢中で読んだ「銀の海金の大地」が未完のまま氷室冴子先生が逝去された時、この十二国も同じ運命を辿らぬとも限らないと考えずにはいられなかった。読むのが勿体なくて本当に震えました。さあ、次巻へ。

白銀の墟 玄の月  2
新作刊行で内容は暁の続編と知った時、これで戴主従の再会が読めるんだと疑いもせず喜んだ私はどれだけおめでたい頭をしていたのか。18年も待たせてまさかこの展開はあるまいとは思うけれども、地道に埋められつつある外堀が怖い。永の沈黙の間自分を慰めるため好き勝手に思い描いていた<戴の未来>が今頃になって牙を剥く。心は信じたくない、あれは影武者なのではと思いたい。泰麒の心が見えなくて辛い、余裕のない李斎が辛い。続刊発売までの1ヶ月はシリーズ再読に充てようと思っていたけど、こうなるともう風の海の表紙も切ない。

白銀の墟 玄の月  3
読了した今でこそようやく暁の天が見えてきた実感も湧くが、あの偽りの誓約の場面などはもう愕然としながら読んだ。精神的な凌辱ではないの、いや実際に血を流しているならそれ以上の。私の、とあえて言うけども、私の愛しい泰麒に何を。目の前が暗くなる。この期に及んでも正頼であり続けてくれた正頼にはもう涙しかない、生きていてくれて嬉しいとそれでも言いたい、泰麒とだけではなく主上とも再会してくれると信じてる。泰麒の心には異郷となった故郷があり、そこに残してきた人物があり、癒えない罪の意識がある。泰麒にこそ救われてほしい。

白銀の墟 玄の月  4
救出を待たず自力で脱出してくるあたりがさすが主上、そこから李斎との再会までの昂りときたら。けれども今作は違った、奇跡と逆転は確かにあった。けれどそこに痛快さはなく、胸に迫るのは名も挙がらずに消えていった心ある人々の影、その重み。前半で描き出された民の辛苦、下命とあれば否とは言えない兵卒の葛藤、泰麒や李斎の物語に終わらなかった。ああでも無粋を承知で言わせてほしい、王と麒麟にもっと会話を!泰麒の予後、慶主従だけでなく汕子との再会も見たい。けれどそんな我儘も、並んで養生する主上と正頼にほだされた。短編集も期待。

久遠の庭  「十二国記画集」  山田章博
新潮文庫版で揃え直した際、WH版を手放してしまっているので、こうして見ると懐かしいやら惜しいやら。もちろんそのへん狙いの画集刊行、あざといけれど有難いのも確かだわ。当時も今もお気に入りの表紙絵は風の海2作、合わせても400ページいかないのに上下巻組なのはこの表紙のためだと今も思う。面白いのはネズミ姿の楽俊で、シリーズが下るほどデフォルメが効き可愛らしくなっていく。青年姿も慎み深くて好印象。挿画の墨絵はやはり竹ペンと筆なのか、このサイズで見ると線の掠れも生々しい。抜け感があり、手数は多くても筆は速そう。

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